畳の歴史。古代からある畳の変化を調べてみました
こんにちは、中学から柔道を始めて三段までとりました、オスカーホーム高岡砺波営業所の武部です。
自宅にあった畳はわらが詰まったとても重い畳。今では当たり前にある軽いスタイロ畳は、柔道場で初めて出会いましたが、当時は珍しいものでした。
道場にある畳は表面もすべすべしていて、いぐさの表面とは全然違っていると感じました。当時は部屋といえば畳の部屋しかない住まいで、重い畳しか知らなかったので驚きました。今でも「実家は昔ながらの畳の床の古い家で。。。」というお話をお聞きすることもあります。
意外かもしれませんが、安土桃山時代や江戸時代の庶民の住まいは板張りが一般的でした。豊臣秀吉の住んでいた大阪城には明の使節を迎えるための千畳敷の大広間があったそうで、広さも金銭的にも今の感覚でもかなり壮大ですね。
今回はそんな畳の歴史について、調べてみました。
古代からある畳
畳の原点は古代から存在していました。莚(むしろ)、茣蓙(ござ)、菰(こも)などの薄い敷物の総称で、使用しないときに畳んで部屋の隅に置いておいたことから「タタミ」という名称になったそうです。
平安時代になると、厚みが出てきて部屋に据え置きされるようになっていきました。このころは木の床の上にクッションのように部分的に使われていたそうです。
畳は高級品
室町時代になって書院造の登場で部屋全体に畳を敷き詰める様式がはじまりました。畳を移動しなくても良くなったため、分厚く重くなっていったそうです。また、茶道の拡大によって正座とともに普及していきました。
江戸時代に入ると、畳そのものが重要な建築の要素とみなされるようになり、城や屋敷の改修工事をつかさどる役職として、畳奉行が任命されることもあったそうです
現代では
現代は、生活が様式に変化して畳を敷き詰めるのではなく、平安時代のように薄い畳をクッションのようにして使ったり、リビングの一角にタタミコーナーをつくったりというように変化しています。
だんだんと変わっていく畳の使い方ですが、日本でも需要はまだまだありそうです。皆様は新築に畳のあるスペースは欲しいですか?