富山県民なら一度は行ったことのある、太閤山ランドのある射水市太閤山の地名の由来は?
こんにちは。オスカーホーム射水営業所の武部です。
実は射水市は全国でも珍しい名字の方が多い地方で有名なのですが、名字だけではなく、地名も読みかたが分かりにくい場所が多々あります。前回は射水市戸破(ひばり)をご紹介しましたが、今回は、太閤山ランドでも有名な、射水市太閤山の地名と由来をご紹介します。
太閤山の地名について
後に「太閤」と呼ばれた豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が1585年に富山城の佐々成政を攻めた際(富山の役)に、この地域に陣を張った(太閤山陣所)ことに由来する。
太閤山西端には、薬勝寺池と日宮城があり、当時の交通の要所だった。(出典:ウィキペディアより抜粋)
秀吉が戦の際に味方の士気を高めるために、相撲の大会を開き、その時の会場が今の太閤山相撲場と言われているそうです。射水市の旧小杉町は今も小学生相撲が盛んな地域ですが、その名残なんですね!
太閤山ニュータウン
そして、太閤山を開発して出来たのが「太閤山ニュータウン」。すでに50年近くたっているのですが、周辺を開発して未だに拡大しています。
太閤山ニュータウンが出来た由来は
1962年、富山高岡地区が新産業都市に指定され、県は開発の一環として新湊市(現射水市)の放生津潟を切り開き、富山新港を作りました(1968年開港)。 これにより周辺に大規模な工業団地が造成され、工場の従業員の家族のための住宅を確保する必要が生じました。また高度経済成長により県民所得が増加したため、工場関係者以外においてもより住みよい住宅に対する需要が高まってきました。
これらを予見する形で、新産業都市指定以前の1960年ごろからニュータウンの建設計画が進められ、1964年ごろより順次太閤山地区に建設されました。
太閤山地区が選ばれた理由には、県東部・西部それぞれの中心都市である富山市・高岡市の中間に、また県全体で見ても中央部に位置することから、交通の便に恵まれている点が挙げられます。 この太閤山ニュータウンは日本海側では有数の規模を誇っています。
(ウィキペディアより抜粋)
太閤山周辺は、高岡へも富山へも、新湊地区の工場などへのアクセスも良くてすごく便利なところなのは、50年以上前から計画されたものだったからなんですね!今でも太閤山周辺は居住されたい方が多い、人気の立地です。
太閤山ランド
富山県民ならず、県外の方も来場される県内最大の県民公園が「太閤山ランド」です。
太閤山ランドは、富山県置県100年を記念して作られた県民公園です。1983年に、にっぽん新世紀博覧会の会場としてオープンしました。1992年にはジャパンエキスポ富山の会場にもなりました 。豊かな水と緑に包まれた敷地内をカラフルなトレーンが走り、プール広場・バーベキューコーナー・展望塔などの他、スポーツ・文化活動施設も充実していて、どなたでも楽しく快適に利用 できます。県民リレーマラソン大会やいろいろなイベントも1年を通して開催されているんですよ。
写真出典:太閤山ランドHPより
太閤山ランドへのアクセス
所在地: 〒939-0311 富山県射水市黒河4774-6
詳しくは公式HPのこちらへ http://www.toyamap.or.jp/taikou-land/
また射水市のご紹介していきます。お楽しみに!